住職のおはなし

Column

ハムスター事件

2022.07.21

ちょうどアーサーのお墓についてなんとなく考えはじめた頃のとある日。
突然お寺の玄関ベルが鳴り、出てみると小学生低学年のこどもが泣きながらそこに立っていました。

子供は、ペットのハムスターが死んだこと、公園や自宅ではなくお寺の敷地に埋葬してほしいことを、泣きながら私に伝えてきました。

このときの私はあまり深く考えていなかったので、境内の一画にハムスターを埋め、その子と一緒に手を合わせました。

それから少ししたある日。

またそのこどもがやって来て、私は二匹目のハムスターを同じように埋葬しました。
その時の私は、やはり一度目と同じように特別なことはなにもできませんでした。ただ埋めて、手を合わせる。

自身がペットのアーサーの死について考えを巡らせるうち、やっと「具体的にお経はなにを読んだら良いのか」、「作法はなにをしたら良いのか」を真剣に考えるようになったのです。

そして、亡くなったハムスターを連れてきたこどもが、なぜ自宅でも公園でもなくお寺に埋葬したがったのか。その理由を考えました。
おそらく、自宅や公園の敷地はもしかしたら人の手に渡ったり建物が建ったりするかもしれない、お寺の境内ならその可能性がないのではないか、と。そういうことだったのだと思います。

そして私は、そのこどもの考え――愛するペットが永遠の安らぎを得るには、永続的に土地やお墓が必要がある――と同じように、永続的にお墓を運営できるお寺が必要ではないか?ペットも人も同じ命であり、生命の最期の死を悼み永遠の安らぎを祈るためには宗教の関わりも必要ではないか?そう思うようになりました。

あのとき私が特別なことをしてやれなかったこどもは、もしかしたら二度とペットを飼わないのではないか……という思いとともに、ペットの死や、寄り添うということとはどういうことかを強く考えさせられた出来事でした。

今は、ペットのご葬儀にいらっしゃった飼い主様とそのペットに対し、ただお経をあげて納骨をするのではなく「お気持ちに寄り添うこと」を第一に関わらせていただいております。

*アーサーとアーサーのお墓、ペット墓地についてはぜひこちらのコラムをお読みください。